安土桃山時代に起こった地震はどのようなものだったのか

日本は地震大国としても知られていますが、それは現代の事だけではありません。

安土桃山時代にも大きな地震が起こり、それは多くの記録にも記載されています。

東寺執行日記などにもこの地震については記載があり、中にはあの大きな地震によって12日間余震が続いたという記録もあるのです。

それならば、安土桃山時代の地震とはどのようなものだったのでしょうか。

ここでは安土桃山時代に起こった地震について解説します。

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1586年1月18日

1586年1月18日、若狭湾から三河湾にかけて大地震が起こりました。

震源地に関してもマグニチュードに関しても定説はなく、どこが地震の中心だったかということも明らかにはなっていません。

11月27日に前震、11月30日に誘発自身と考えられるものが起こっています。

三河にいた松平家忠の日記よると、地震は夜の10時ごろに起こり、翌日午前2時ほどにも大規模な余震が発生したと記載があります。

その後も余震が続き、2月23日まで毎日のように地震があったとされているのです。

震源地は明らかになっていませんが、近畿地方から東北、北陸にかけての地域や現在の石川県、福井県、岐阜県、愛知県、富山県など大きな地域にかけて被害が起こったと言われています。

震源地について

阿波では地割れの被害が生じ、その被害自体は1891年に起こった濃尾地震面を大きく上回るものだったと考えられています。

地震が起こった原因に関しても明らかになってはいませんが、複数の断層が連動して活動したのが原因ではないかと言われています。

1998年に地質調査が行われ、岐阜県の養老断層における2つの活動歴が明確になりました。

それによって745年の天平地震と一緒にこの養老断層が震源断層であったのではないかと考えられています。

ただし、これでは内陸部の被害が大きい理由が説明できないため、今も調査が行われているのです。

各地の被害について

実の国では大垣城が全壊消失し、恵那市では山が崩れた可能性があると考えられています。

また、白川郷では300棟が倒壊するなり、雪崩に巻き込まれるなりしたと言われています。

越中国においては木舟城が倒壊し、城主夫妻は死亡しました。

この城主は前田利家の弟、前田秀継でした。

尾張の国では1988年に五条川の河川改修に伴う発掘調査が行われ、これによって安土桃山時代の地震によってできたのではないかと考えられる液状化の痕跡が発見されています。

織田信長の息子、信雄によって清洲城は大幅に改修されていますが、この地震がきっかけだったのではないかと考えられます。

まとめ

いかがでしょうか。

地震によって日本は大きな被害を受けて聞いていますが、それは今の時代だけではありません。

日本は昔から様々な自然災害に見舞われ、それによって影響を受けながら生活してきているのです。

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