安土桃山時代における本能寺の変とは一体どのようなものだったのでしょうか。
本能寺の変と言えば、織田信長を自害に追い込めた出来事として有名ですね。
しかし、歴史の授業などでも「織田信長は本能寺の変で明智三成に倒された」などとなら鵜呑みに終わってしまい、本能寺の変が一体どのようなものなのかわからない、という人も多いのではないでしょうか。
それならば、それは一体なんなのでしょうか。
ここでは本能寺の変について解説します。
織田信長の自害とは
本能寺の変と言えば、やはり織田信長が命を落としたものとして知られていますね。
1582年6月2日、本能寺という寺に宿泊していた織田信長は明智光秀の謀反に遭い、自殺することになりました。
織田信長は、中国を制圧しようとしていた家臣、豊臣秀吉を助けるために出陣しようと本能寺に滞在していたのです。
また、明智光秀も中国制圧に加わる際、本能寺を襲撃しました。
織田信長はそもそも軍隊の人数が少なく、抵抗できなかったと言われています。
そのため織田信長は本能寺に火を付け、切腹して自害しました。
これによって織田信長は、天下を統一することができなかったのです。
織田信長はどのように死んだのか
その一方で、織田信長がどのように死んだのかという事は明らかになっていません。
明智光秀の軍が本能寺に侵入した時、織田信長は顔を洗っていた最中だったとも言われています。
明智の君が弓矢を放って背中に命中させると、織田信長がその家を引き抜き、鎌のような武器を使って対抗しながら奥の部屋に入ったと言われています。
それで切腹したとも言われていますし、火を放って焼死したとも言われています。
争いの後で明智勢は信長の遺体を探しましたが、見つかることがありませんでした。
そのため明智勢は織田信長の首を手にすることができず、実は織田信長は生きていたのではないかとさえ言われたのです。
本能寺の変がなければ織田信長は天下統一ができたのか
織田信長は本能寺の変により、天下統一という夢を果たせずに終わりました。
しかし、それならばもしも本能寺の変がなかったのであれば織田信長は天下統一をすることができたのでしょうか。
実は、本能寺の変がなかったとしても織田信長は天下を統一することができなかっただろうと考えられています。
まず、織田信長は塩分の取りすぎによって糖尿病患っていたと考えられています。
もしも1伝えられている織田信長の食事が本当であったのであれば、彼の1日の塩分の摂取量が40グラムを超えることになります。
そのため、もしも明智光秀が日本を起こさなかったとしても、織田信長は長生きできなかっただろうと言われているのです。
まとめ
いかがでしょうか。
本能寺の変と言えば明智光秀と織田信長の争いという形で知られていますが、もしも本能寺の変がなかったとしても織田信長は天下統一はできなかてのではないかという意見の方が優勢です。
また、織田信長がどのように死んだかは分かっておらず、遺体が見つからなかったというのも面白いですね。