安土桃山時代に能はどのように広まったのか

安土桃山時代と言えば、織田信長や豊臣秀吉で有名です。

織田信長の本能寺の変や豊臣秀吉の刀狩りなど、歴史の授業でも覚えますよね。

どうしても政治ばかりが注目されやすい安土桃山時代ですが、この時代は日本の文化が発展した時代でもありました。

南蛮貿易によってヨーロッパとのやりとりができたことにより、海外の文化が日本に溶け込んでいったのです。

この時代には能が日本国内でも普及していきますが、一体どのように広がっていったのでしょうか。

ここでは、安土桃山時代における能について解説します。

スポンサーリンク
azuchimomoyamaレクタングル大

室町時代に大成

もともと、能は平安時代に猿楽として発生し、鎌倉時代には猿楽の能として親しまれるようになりました。

その後、室町時代になってから足利義光のもとで、観阿弥・世阿弥親子によって大成したのです。

主演者がシテ、助演者がワキとして登場し、シテは能面をつけることでも知られています。

神、男、女、狂、鬼と分類されており、上演の順番も決まっています。

江戸時代には能と能の間に表現が上演されるようになりました。

2008年には狂言とともに、世界無形遺産に登録されています。

人々の楽しみとして愛された

安土桃山時代と言えば、先ほど述べたように織田信長や豊臣秀吉など、政治的な人物で有名です。

しかし、南蛮貿易によって日本に入り込んできた文化により、人々は様々な楽しみを見出すようになりました。

その中でも能は人々の楽しみとして親しまれたのです。

織田信長も豊臣秀吉も京都で能を見物しました。

また、秀吉は朝鮮出兵を行った時、佐賀県に四座の能を呼んで自分で演じたとも言われています。

これに習い、大名たちも能を学ぶようになりましたが、この頃にはすでに方が決まっており、儀式として伝えられるようになったのです。

安土桃山時代における能の発展

安土桃山時代には、能はそこまで発展しなかったと考えられています。

1582年、安土にて織田信長は徳川家康と猿楽を鑑賞しました。

また、織田信長の長男、信田は自ら猿楽を演じたとも言われています。

このように、安土桃山時代の能は武将たちにも愛され、ここから広がっていったとも考えられているのです。

ただし、豊臣秀吉が大和四座以外の猿楽には関心を持たなかったとも言われており、だからこそ多くの猿楽が消滅するきっかけにもなりました。

まとめ

いかがでしょうか。

この時代には様々なものが普及し、人々に愛されるようになりました。

特に日本文化というものの基盤が出来上がった時代でもあり、だからこそこの時代は平和だったとも考えられるのです。

スポンサーリンク
azuchimomoyamaレクタングル大

azuchimomoyamaレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする