安土桃山時代と言えば、織田信長や豊臣秀吉が政権を握った時代として知られていますよね。
豊臣秀吉が天下を統一したことにより、全国的に平和な時代が訪れました。
もちろん、武家や公家といった身分がありましたから、百姓たちは織田信長や豊臣秀吉たちとは違った生活をしていたそうです。
それならば、百姓たちはどのような暮らしをしていたのでしょうか。
ここでは安土桃山時代の百姓の暮らしについて解説します。
百姓たちの楽しみ
この時代は南蛮貿易が盛んになったことにより、中国やヨーロッパから様々な文化がやってきました。
さらに天下が統一されたことにより、人々は比較的平和な暮らしを楽しむことができたのです。
それによって茶道や生花、浄瑠璃、歌舞伎などが盛んになりました。
一般的に、能楽は武家や公家が楽しんだと言われていますが、百姓は浄瑠璃や歌舞伎を楽しんでいたと言われています。
また、南蛮貿易によって海外からお茶が入り込み、それに対抗するようにして日本でもわび茶が盛んになりました。
このようにして、海外の良さを受け入れるということも行われたのです。
武装が解除
百姓といっても、刀狩りが行われるまでは必要に応じて戦に駆り出されることもありました。
特に室町時代は高度な自治機能を有しており、百姓たちが持っている武器というものが力になったのです。
つまり、まだまだ領主に対し、百姓たちが対抗することができたとも言えましょう。
武器を持っているため、一揆などを起こすことによって領主と交渉することができたのです。
しかし、豊臣秀吉が刀狩りを行ったことにより、百姓たちは武装を解除されてしまいました。
刀を奪われてしまったことにより、領主たちに対抗することができなくなったのです。
これにより、身分というものが明確にされたとも言えます。
生活そのものが貧しかった
この時代は織田信長が武士たちを城下町に住まわせたことにより、身分の差がはっきりとついた時代でもありました。
身分の低い武士たちが百姓たちと一緒になり、反抗しないようにするための対策です。
武士と名のつく人々が城下町に住み、百姓との身分が明らかになったことにより、百姓は貧しい生活を強いられることになったのです。
今の人々にとっては健康食ではありますが白米に麦や粟を混ぜて食べたり、粟や黍、黍などが食べられていたのです。
味噌は自家製であり、家畜を食べて生活していたとも考えられています。
その一方で武将たちは豪華な食事を食べていました。
まとめ
いかがでしょうか。
百姓たちの暮らしは織田信長や豊臣秀吉のそれとは大きく違っていました。
それでも歴史の中では比較的平和な時代だったとも考えられるのです。