安土桃山時代の人々の生活はどのようなものだったのか

安土桃山時代と言えば、織田信長や豊臣秀吉などの武士が有名ですよね。

彼らは大河ドラマなどでもよく出てくるキャラクターであり、歴史上でも有名な人物です。

しかし、そのような華やかな舞台にいる人々の背景にいる農民はどのような生活をしていたのでしょうか。

ここでは、安土桃山時代の人々がどのような生活をしていたのか、ということについて解説します。

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比較的貧しい生活

織田信長や豊臣秀吉といった華やかな人々の存在により、安土桃山時代は華やかな時代だと考えている人も多いかもしれません。

しかし、安土桃山時代の人々の生活というものは比較的貧しいものでした。

例えば、食事の上でも白米のみが食べられるということはなく、麦や粟が加えられていました。

今でこそ健康食として愛されていますが、この頃は貧しい食事として捉えられていたのです。

また、主食は粟や黍、稗が食べられていました。

しかしその一方で織田信長や豊臣秀吉は豪華な食事をしていたと言われています。

確かに彼らは健康を気遣い、食事にも注意を払っていましたが、その一方で農民たちの暮らしは貧しかったのです。

身分の差がはっきりとした

鎌倉時代や室町時代は、一般の人たちであっても戦が始まれば武装をし、戦いにいかなければいけませんでした。

しかし、豊臣秀吉が刀狩りをしたことにより、人々は武装をすることができなくなります。

つまり、武装できた時代というのは身分が高い人たちと交渉することもできたわけですが、刀狩りによって武装できなくなってしまい、農民の身分が武士のそれよりも低いものと明確に分けられてしまったのです。

織田信長が武士たちを城下町に住まわせたこともそのきっかけではありましたが、人々は武装することができなくなり、さらに身分の差というものが明確になったのです。

経済や商業が発展

身分制度によって身分が分かれましたが、豊臣秀吉が天下統一を行ったことにより、世の中は平和なものとなりました。

それまでは戦国時代とも言われるように、戦いが多く行われていましたが、天下が統一したことによって人々は落ち着いた暮らしを取り戻すことができたのです。

また、織田信長の楽市楽座によって商業や経済が発展しました。

そのため、人々は貧しいながらも様々な楽しみを見つけ、面白い生活を営むことができたのです。

南蛮貿易によってヨーロッパからの文化が訪れ、さらに日本文化の中に溶け込んでいきました。

まとめ

いかがでしょうか。

人々の生活は貧しいながらも豊かであったといえます。

確かに豪華な生活ではありませんでしたが、それでも充分な暮らしができていたと言えるのです。

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