安土桃山時代と言えば、織田信長と豊臣秀吉が政権を握った時代でもあります。
安土桃山時代と聞くと、ついこの2人の事ばかりが思い出されてしまいますが、この時代は南蛮貿易によって日本国内の文化が栄えた時代でもありました。
南蛮貿易によって栄えた文化を南蛮文化と呼びます。
南蛮文化とは一体どのようなものだったのでしょうか。
ここでは安土桃山時代における南蛮文化について解説します。
ヨーロッパの文化の導入
南蛮文化の特徴はヨーロッパの文化が日本に入り込んできた事でした。
それまで日本がヨーロッパとやりとりをするときには中国が仲介に立っていたのですが、南蛮貿易は中国を間に立てることなくヨーロッパと直接交渉できるという機会をもたらしたのです。
そのため、例えばポルトガルからの鉄砲伝来は有名ですが、スペインやポルトガルからの文化が直接日本にもたらされました。
学問や芸術、芸術や文学が伝えられたのです。
それらは南蛮文化の特徴はヨーロッパの文化が日本に入り込んできた事でした。
それまで日本がヨーロッパとやりとりをするときには中国が仲介に立っていたのですが、南蛮貿易は中国を間に立てることなくヨーロッパと直接交渉できるという機会をもたらしたのです。
そのため、例えばポルトガルからの鉄砲伝来は有名ですが、スペインやポルトガルからの文化が直接日本にもたらされました。
学問や芸術、芸術や文学が伝えられたのです。
それらは織田信長や豊臣秀吉によって統一された世の中に溶け込み、発展していくことになりました。
印刷文化
南蛮文化の中でも有名なものが印刷文化です。
活版印刷というものがヨーロッパから伝えられ、活字や印刷の技術が日本で広まるようになりました。
もともと南蛮貿易とイエズス会は協力体制にあり、活版印刷が日本にもたらされたことによってキリスト教を布教するための書物が日本国内で印刷されたのです。
耶蘇会版とキリシタン版として、宗教関係の読み物、文学書、そして外国語の辞書の3種類が印刷されました。
今でも日本で愛されているイソップ物語はこの頃に訳され、印刷されたと考えられています。
南蛮屏風
この頃に普及した南蛮文化の1つに風俗を描いた南蛮屏風というものがあります。
狩野派の画家たちが書いたものであり、江戸時代にかけて広く広まるようになりました。
南蛮人や南蛮船などを取り上げており、非常に正確に書かれているということが特徴です。
南蛮人として描かれた人々はポルトガル人ですが、ポルトガル国内においても歴史的価値があるものとして認識されています。
また、キリスト教が広まったら当然ながら宗教画というものも普及するようになりました。
そこでポルトガルが持ってきた宗教画を書き写すということが行われ、それによりヨーロッパの美術というものが日本に入り込んできたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
南蛮文化というものは今の日本文化を築き上げた元とも言えます。
ヨーロッパの文化が日本に入り込み、うまく溶け込んでいったことで今の日本文化というものにつながっていたのです。