安土桃山時代のお城の文化と特徴について

織田信長と豊臣秀吉が政権を握った1573年から1603年までは安土桃山時代と呼びます。

織田信長は安土城を、豊臣秀吉は伏見城を居城としていました。

伏見城が桃山と呼ばれる丘陵にあったことから、この時代はこの2人のお城から安土桃山時代と呼ばれるのです。

この時代は建築が発達した時代でもあり、安土城と伏見城以外にも様々なお城が建てられました。

ここでは、そんなお城の文化の特徴について紹介します。

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安土桃山時代に建てられたお城

安土桃山城に建てられたお城には、まず現存するお城としては犬山城と松本城、丸岡城、そして姫路城があります。

犬山城と松本城は国宝ですし、丸岡城は国の重要文化財として大切にされており、姫路城は世界遺産でもありますね。

それ以外には大阪の役で消失し、江戸時代に作られた大阪城、そして佐和山城、竹田城、名護屋城があります。

織田信長の居城となっていた安土城は本能寺の変の後に消失し、豊臣秀吉が居城としていた伏見城は江戸時代初期に廃城となりました。

安土城の特徴とは

織田信長によって建造された安土城は、大型の天守閣を初めて持つという特徴を持っていました。

地下1階、地上6階、天守の高さは約32メートルという独創的な作りであり、非常に豪華なお城であったと言われています。

また、すべて石垣で作られた城郭を持っており、初めて石垣に天守がある城という特徴も持ち合わせています。

これは安土桃山時代から作られた近世の城郭の模範として、江戸時代まで愛されるようになりました。

この織田信長の安土城の影響を受け、石垣を使ったお城というものが全国的に広がっていったのです。

建築文化において安土城は大きな役割を果たしました。

伏見城の特徴とは

伏見城というのは豊臣秀吉が居城としていたお城で、桃山丘陵にありました。

残念ながら江戸時代初期に亡くなってしまい、その後は明治時代の宮内省の御料地、明治天皇桃山陵、昭憲皇太后桃山東陵となり、遺構調査も難しくなっています。

また、あまりにも史料が少ないために不明な点も多いとされています。

ただし、相当豪華な様式であったのだろうという事は分かっており、金瓦が多く発掘されていることも伏見城の特徴として指摘されています。

まとめ

いかがでしょうか。

特に安土城は石垣のお城として新たな文化を築きあげました。

豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ、全国的に平和が訪れたことにより、大名たちは各地で力を発揮し、この時代は平和な時代であったとも言われています。

だからこそ建築も発展し、今の時代にまで大きな影響を残しているのです。

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