結婚のあり方というものは時代によって変わっていくものです。
織田信長と豊臣秀吉が政権を握っていた1573年から1603年の安土桃山時代においても、結婚の制度というものは今とは大幅に違っていました。
それでは、安土桃山時代の結婚というのはどのようなものだったのでしょうか。
ここでは安土桃山時代の結婚のあり方、花嫁のあり方について紹介します。
武家の結婚式は豪華!
安土桃山時代に置いて、有力な物件の結婚式というものは非常に高価だったと言われています。
特に武田信玄と信濃の小笠原宗長の娘の結婚は当時の豪族武田信玄と小笠原流礼道本家の縁組でしたから、その時代の最高の豪華さを誇っていたと言われています。
花嫁と花婿の服装
花嫁は上は白幸菱の打掛を着て、もちろん白い下着を着用していました。
将軍の娘や地位の高い家の娘の場合は白い袷と白い子袖を重ね、その上に練貫を着用し、白い細帯をして緋色の袴をはきました。
打掛は五ツ衣、白綾の上着、唐衣、裳を聞いていたと考えられています。
今でも花嫁の象徴の色は白ですが、それはこの時代も同じですが、嫁は再び家には戻らないとして死を覚悟をする、という強い意味がありました。
花婿は白い袷を着て白綾の幸菱模様の中着を着ます。
身分が高い男性の場合は直垂、身分が低い男性の場合は素襖と侍烏帽子を着用しました。
結婚式のあり方
安土桃山時代は現代と同様、吉日を選んで結婚式が行われました。
嫁入り前に嫁迎えの儀式があり、婿の側から選ばれた2人が騎馬で花嫁の家に行き、迎えの口上を述べました。
引き出物として鎧、太刀、馬が送られ、出立するときには父母に三々九度の盃があり、門火を焚いて娘を送り出したとされています。
婿は門火を焚いて花嫁を待ちました。
花嫁が輿から出たら、婿の女官たちが花嫁を座敷に導き、夫婦の盃である式三献が始まったのです。
そのあとで婿側の家にて挨拶が行われました。
まとめ
いかがでしょうか。
今の結婚式に近い形は明治時代にでき始めたと考えられていますが、安土桃山時代の結婚は今とは全然違うということがわかりますね。
もちろん身分というものがありますから、身分が高い人と低い人によっても結婚のあり方は変わってくるわけですが、特に身分が高い人たちの結婚式はとても豪華だったと言われています。
今も花嫁が白を着用するという事は変わりがありませんが、今の時代はどちらかというと純潔の証として扱われています。
安土桃山時代には死を覚悟するという意味があったなんて、面白いですよね。