安土桃山時代と言うと、織田信長や豊臣秀吉が政権を握ったことで知られていますよね。
この時代は鉄砲やキリスト教が伝来し、天下が統一された平和な時代であったと思っている人も多いのではないでしょうか。
しかし、そんな一方で政治以外はあまり知らない、という人も少なくないでしょう。
それならば、庶民や武士たちの学校とはいったいどのようなものだったのでしょうか。
ここでは、安土桃山時代の学校について解説します。
身分の高い子どもたちの学校
江戸時代になると寺子屋というものが出来上がりますが、寺子屋の基盤となるものは鎌倉時代からちらほらみられるようになります。
神奈川県の金沢文庫や栃木県の足利学校など、今でもよく知られていますよね。
これらはあくまでも身分の高い武士などの学校とされていました。
その後、寺子屋は誰もが参加できるようなものになりますが、まだ安土桃山時代においても、寺子屋の基盤となった学校制度は身分の高い子供たちが寺院に行き、読み書きを習う、という程度であったと考えられています。
家で学ぶ
身分の高い子どもたちは寺院などに行って勉強をする一方で、庶民の子供たちは当然学校というものに行くことはありませんでした。
そのような子供たちは、家で両親から必要なことを学びます。
今でいうホームスクールといった感じでしょうか。
しかし、だからといって両親も読み書きが得意、勉強ができる、というわけではありません。
学校という場所で学んでいないために、どうしても偏りができてしまったり、当然今のように「子供は働いてはいけない」などという法律もありませんから子どもも仕事をしなければならなかったりして、しっかり勉強できないという家庭も珍しくはなかったのです。
寺子屋の変遷
江戸時代に入り、文書主義などによって学問というものが重視されるようになりました。
江戸や京都に寺子屋ができ、1690年ころからは地方でも寺子屋が出来上がります。
江戸時代には学問が一般人の間にも普及したことにより、江戸や明治の日本の識字率は世界的にもハイレベルであったと言われているのです。
まとめ
いかがでしょうか。
寺子屋と言えば誰もが歴史の授業で学ぶ単語ですよね。
そして、その基盤が安土桃山時代にできていたなんて面白いと思いませんか?
まだまだこの頃は身分の低い人は勉強できる状態ではありませんでしたが、これは江戸時代になり、基本的に誰もが学習できる時代へと変わっていくのです。