安土桃山時代の名前の由来について

安土桃山時代というと、織田信長や豊臣秀吉を真っ先に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

確かに、安土桃山時代というのはこの2人が政権を握った違いでした。

しかし、歴史上の時代区分では室町時代や江戸時代など、四字熟語が多い中で、安土桃山時代という名前の長さに違和感を覚えたことがある人もいるかもしれません。

また、天下統一とは言え血なまぐさい戦が行われていた時代なのに、妙にきれいな名前だと感じたことがある人もいるかもしれませんね。

安土桃山時代の名前の由来とは一体なんなのでしょうか。

ここでは、その名前について紹介します。

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お城文化から来た名前

織田信長は安土城を居城としており、豊臣秀吉は伏見城を居城としていました。

その安土城から安土、伏見城があった桃山丘陵から桃山を取り、安土桃山時代と呼ばれているのです。

特に、豊臣秀吉が天下統一を行った後は桃山時代とも呼ばれており、この時代に栄えた文化は桃山文化と言われているのです。

織田信長は安土城、豊臣秀吉は桃山城、と考える人思いますが、桃山城というお城が存在していたわけではありません。

ただし、安土城は完成してから3年で焼失しますし、豊臣秀吉も伏見城の築城から7年後に秀吉が命を落としたということもあり、この名称は適切ではないという指摘もあります。

安土桃山時代以外の名称

確かに織田信長の居城は安土城でしたし、豊臣秀吉の居城である伏見城は桃山丘陵にありましたが、彼らがそこに長い間住んでいたというわけでは無い為、安土桃山時代というよりは織田信長と豊臣秀吉の頭文字を取り、織豊時代という呼び方の方が良いのではないかという考え方が広がりつつあります。

また、同様の理由により安土伏見時代、安土大阪時代、天正時代、大阪時代などという名前を提案する研究者もいます。

ただし、豊臣秀吉が大阪城にいたイメージは確かに強いですが、関白に就任した後は京都に居住しており、大阪に実際に住んでいた年数は短いとされています。

安土桃山時代の始まりと終わりについて

一般的に安土桃山時代は1573年から1603年だと言われていますが、この始まりの時期と終わりの時期に関しては様々な見解があります。

織田信長が京都に行った1568年、足利義昭が追放されて室町幕府が滅亡した1573年、安土城が建て始められた1576年が安土桃山時代の始まりだという考え方があるからです。

また、豊臣秀吉がなくなった1598年を安土桃山時代の終わりとする考え方もありますし、徳川家康があの有名な関ヶ原の戦いに勝利した1600年という考え方もあります。

室町時代の後半を戦国時代ということで、安土桃山時代も戦国時代の1部として考えられていることもあり、なおさら時代区分が難しいと言えるでしょう。

まとめ

いかがでしょうか。

安土桃山時代の名前は織田信長と豊臣秀吉のお城から来ていますが、そこには肯定的な意見もあれば否定的な意見も存在します。

しかし、時代というものは流れていくものであり、はっきり時代の区別ができるものではありません。

だからこそ、様々な見解がなかなかまとまらないのです。

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