安土桃山時代の歌舞伎を大成させたのは誰か

安土桃山時代といえば、織田信長や豊臣秀吉が政権を握った時代として知られていますよね。

鉄砲伝来、長篠の戦、本能寺の変、そして天下統一や刀狩りなどというこの時代のキーワードを聞いたことがあると言う人もいるでしょう。

その一方で、この時代は南蛮貿易が栄え、桃山文化が花を開いた時代でもありました。

その中に歌舞伎というものがあります。

歌舞伎は誰によって、どのように大成したのでしょうか。

ここでは安土桃山時代に歌舞伎が定着するにあたり、力を尽くした人物について解説します。

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出雲阿国

出雲阿国は安土桃山時代の女性芸能者であり、ややこ踊りを基盤としたかぶき踊りの創始者です。

このかぶき踊りが変遷を重ね、現在の歌舞伎となりました。

そのため、安土桃山時代に一般的になった歌舞伎を見るならば、この人物は外せないと言えます。

安土桃山時代に桃山文化が栄えましたが、安土桃山時代は豊臣秀吉がすべての武士を城下町に住まわせたことから身分の区別がはっきりし、脳楽などは武家や公家のものとして親しまれましたが、歌舞伎や浄瑠璃は庶民の者として親しまれるようになりました。

不明な点も多い

17世紀以降、出雲阿国が伝説となってから彼女のことが伝えられるようになりましたが、その一方で彼女のことは不明点も多いとされています。

国、お国、と呼ばれることも多いですが、彼女が本当に出雲の国出身かどうかということも明確にはなっていません。

しかし、鍛冶の中村三右衛門の娘であり、出雲大社の巫女として働き、文禄の間に全国を巡回したことから有名になってと言われています。

時慶卿記という記録に「クニ」という人物が「ヤヤコ跳」を踊ったという記録があり、この人物こそが出雲阿国であり、かぶき踊を始めた人物だろうと考えられているのです。

ただし、この「ヤヤコ跳」は「ややこおとり」「かふきおとり」と書かれていることもあり、名称がそれぞれ異なります。

当代記という記録には、彼女が京で人気者になったということが分かります。

遊女屋でも取り入れられる

このかぶき踊は遊女屋で取り入れられ、その結果遊女歌舞伎として親しまれるようになりました。

しかし、江戸時代は遊郭が発達した時代でもあり、遊女歌舞伎が広まるとそれに従って若者たちの諍いも増え、江戸幕府に禁止されました。

1600年前半に10年ほどかけて取り締まりが行われたとされています。

まとめ

いかがでしょうか。

歌舞伎は庶民のものとして知られるようになりましたが、普通の巫女だった女性が歌舞伎の元となる踊りをしていたなんて面白いですよね。

この時代は海外の文化が入り込む一方で日本の文化が形成される時代となったのです。

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