安土桃山時代における豪族は一体何をしていたのでしょうか。
織田信長は安土桃山時代に台頭した豪族であり、日本の中央部を統一していきます。
残念ながら織田信長は天下統一をすることができませんでしたが、その後は豊臣秀吉が天下を統一することになりました。
それならば、豪族たちは一体何をしていたのでしょうか。
ここでは安土桃山時代の豪族について解説します。
自分の国にて生活
豪族たちは、本来は自分たちの国どうしの争いに関わっていました。
しかし、織田信長が日本の中央部を徐々に統一し、国どうしが争わなくなっていったことにより、彼らは争いをする必要がなくなったのです。
そのため彼らは自分の国に留まり、自分の国の安定に努めていました。
そして特に産業や商業に力を入れるようになっていたのです。
武士と民衆の身分の差がつく
織田信長は豪族を含め、武士たちを城下町に住まわせるようにしました。
それによって身分低い武士たちが一般民衆たちと結託して一揆を起こさないようにするためです。
そのため、豪族を含め武士たちと民衆たちの身分の差がはっきりつくようになりました。
これによって豪族たちも自分たちに武士としての誇りを持つようになり、力を付けるようになったのです。
経済発展に貢献
織田信長や豊臣秀吉は、安土桃山時代の経済政策のために楽市楽座を行いました。
独占販売権や非会税権を排除し、自由に取引できる市場を作り、座を解散させたのです。
そして豪族もここに関わり、経済発展に貢献しました。
豪族たちは座や株仲間によって独占されていた経済的な利益を排除することにより、絶対的な領主権を確立させたのです。
これによって上の権力を強めることができ、織田信長や豊臣秀吉の権利を強力なものにすることに成功しました。
天下統一によって争いがなかったためにこのような経済政策にも貢献することができ、世の中は平和になって行ったのです。
また、豊臣秀吉の時代には太閤検地や刀狩りが行われ、ますます争いごとが少なくなっていきました。
まとめ
いかがでしょうか。
織田信長は日本の中央部を統一しましたが、天下統一をすることはできませんでした。
しかし、その後に力を付けた豊臣秀吉が天下統一に成功します。
豊臣秀吉は私的な争いをも禁止し、また、イエズス会が九州に台頭していたことを懸念してキリスト教を禁止することにも成功しました。
キリスト教徒たちはその後も増えてきますが、それでも豊臣秀吉は絶対的な権力を手に入れたと言えるでしょう。