安土桃山時代の平均寿命とはどれくらいだったのでしょうか。
安土桃山時代というと織田信長と豊臣秀吉を思い浮かべる人もいるかもしれません。
もちろん織田信長は本能寺の変で自害していますから、平均寿命なんて関係ないのでは!?と感じる人もいるかもしれませんが、この時代は今の時代ほど平均寿命が高くはありませんでした。
それならば、この安土桃山時代の平均寿命はどれくらいだったのでしょうか。
ここでは安土桃山時代の平均寿命について解説します。
三英傑が死亡したのは何歳の時?
安土桃山時代と言えば織田信長や豊臣秀吉の時代ですが、彼ら二人と徳川家康と3人まとめて三英傑と言いますね。
織田信長は48歳、豊臣秀吉は61歳、徳川家康は73歳で亡くなったと言われています。
しかし、織田信長は自害したから平均寿命は関係ないと思っても、徳川家康が73歳ならば長生きしたと思いませんか?
さらに毛利元就は74歳まで生きたと言われています。
幼い頃に命を落とすケースが多かった
三英傑を見ると長生きしているように見えますが、安土桃山時代の平均寿命は実は40歳に満たなかったのではないかと言われています。
実は日本人は今でこそ世界的にも長寿と言われていますが、日本人の平均寿命が50歳を超えたのは第二次世界大戦が終わった後、1947年のことなのです。
何が変わったかと言うと、決して大人がただ単に長生きできるようになったからというわけではありません。
それまでは乳幼児が命を落とすケースがたくさんありました。
1950年には子供が5歳になる前に命を落とすケースは5パーセントであったと言われています。
つまり、病気になりやすく、栄養状態が良くなかったのです。
7歳までは神のうち
江戸時代までは「7歳までは神のうち」と考えられていました。
つまり、数えで7歳になって初めて人間になれると言う意味であり、それほどまでに7歳になる前に死んでしまうケースは少なくありませんでした。
江戸時代の平均寿命は35歳ほどと言われていますから、安土桃山時代ならばもう少し低かったと考えても良いのかもしれませんね。
まとめ
安土桃山時代の平均寿命が低いのは、戦いによって若者が命を落としてしまうからということも原因の一つでした。
また、出産が安全ではなかったということも挙げられます。
安土桃山時代の出産による死亡率は明らかにはなっていませんが、1950年には25人に1人が出産で命を落としていました。
そのため、安土桃山時代には出産で多くの人が亡くなったと考えてもおかしくはありません。