安土桃山時代と言えば、織田信長や豊臣秀吉が政権を握った時代として知られていますよね。
織田信長が居城としていた安土城、そして豊臣秀吉の居城、伏見城の地名が桃山というものだったことから、安土桃山時代と呼ばれています。
織田信長と豊臣秀吉が力を握った時代として知られているものの、この時代の政治や経済は一体どのようなものだったのでしょうか。
ここでは、安土桃山時代の経済と政治について解説します。
安土桃山時代の経済状況について
安土桃山時代の経済は比較的安定していたと言われています。
特に豊臣秀吉が天下を統一したことにより、全国的に大名たちが落ち着いた生活をすることができました。
今まで乱れていた世が統一され、平和がもたらされたことにより、人々も落ち着きを取り戻したのです。
また、南蛮貿易が発達したことにより、他の国との交易も盛んになりました。
ヨーロッパやアジアから様々なものが日本にもたらされ、それらも人々の生活を豊かにする一躍を買ったのです。
織田信長の時代の政治について
安土桃山時代は織田信長と豊臣秀吉の時代でもありますが、それならば織田信長の時代の政治は一体どのような状態だったのでしょうか。
織田信長は戦国大名の中で力をつけた人物でした。
足利義昭を倒して京都に行き、織田信長の政治が始まったのです。
室町幕府が崩壊し、安土城が作られ、京都を中心として平和な時代が取り戻されました。
しかし、信長は天下統一をなす直前に本能寺の変によって命を落とし、天下統一はできなかったのです。
豊臣秀吉の天下統一はよく知られていますが、この天下統一は織田信長の政治なしには成り立たなかったものだとも考えられているのです。
豊臣秀吉の時代の政治について
1590年に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、全国で太閤検地と刀狩りを行いました。
他の大名たちが力をつけ、反乱を起こしたりしないように政治を安定させるための戦略です。
豊臣秀吉は中国を征服しようと1592年に文禄の役と慶長の役を起こしますが、朝鮮で戦況が変わってしまいました。
ここは経済にも影響しますが、国内は豊臣秀吉の天下統一によって平和がもたらされ、各地で都市が栄えていくことになります。
秀吉自身も文化に興味を持っていたため、各地に南蛮文化というものが浸透するようになりました。
それによって桃山文化というものが成り立つのです。
まとめ
いかがでしょうか。
安土桃山時代は経済的にも政治的にも安定していたといえます。
もちろん、これに対して力をつけていく豊臣秀吉が政権の基盤を固め、江戸時代が始まったことにより安土桃山時代は終わります。
しかし、織田信長、豊臣秀吉、それに告ぐ徳川家康はこの時代の重要人物と言えるでしょう。