安土桃山時代と戦国時代の違い

織田信長と豊臣秀吉が政権を握った時代を安土桃山時代といい、その直前の戦乱が頻発した時代を戦国時代と呼びます。

安土桃山時代は1573年から1603年と言われており、戦国時代というのは1467年から1590年を指すと考えられています。

安土桃山時代と戦国時代にはどんなような違いがあるのでしょうか。

ここでは、2つの時代の違いについて解説します。

スポンサーリンク
azuchimomoyamaレクタングル大

それぞれの時代区分について

まず戦国時代と安土桃山時代というのは時代が違います。

戦国時代の方が安土桃山時代の前に存在しました。

戦国時代というのは一般的に1467年の応仁の乱、あるいは1493年の明応の政変に始まります。

そして豊臣秀吉が惣無事令を出した1587年、豊臣秀吉が後北条を滅ぼし、天下統一を行った1590年、あるいは奥州仕置を行った1591年までとされることが一般的です。

そして、織田信長の上洛が行われた1568年、織田信長足利義明を追放して室町時代が終了した1573年が安土桃山時代の始まりと考えられることが一般的です。

このように、戦国時代が終わって安土桃山時代がやってくるという違いがあるのです。

ただし、その始まりと終わりについては様々な考え方が存在します。

戦国時代というのは本来の時代区分ではない

安土桃山時代というのは織田信長と豊臣秀吉が政権を握ったれっきとした時代区分の1つです。

その一方で、戦国時代というのは室町時代後半であり、それこそ正規の時代区分ではありません。

室町時代というのは一般的に1336年から1573年を指しますが、1336年から1392年は南北朝時代、その後1467年や1493年から1590年生戦国時代と呼びます。

また、豊臣秀吉が大阪夏の陣で滅ぶまでを戦国時代と呼ぶ人もいますし、戦乱の世の中こそ戦国時代だと呼ぶ人もいます。

そのため、安土桃山時代と戦国時代がダブっていると考える人もいるのです。

安土桃山時代は織田信長と豊臣秀吉が政権を握った時代

戦国時代と安土桃山時代はかぶっているように見えることもありますが、安土桃山時代を平たくいうと、織田信長と豊臣秀吉が政権を握っていた時代だと言えるでしょう。

織田信長の居城であった安土城と、豊臣秀吉の居城であった伏見城があった場所の名前から安土桃山時代と言われています。

しかし、実際は安土城では関西から3年ほどで消失していますし、伏見城が完成してから2年後に豊臣秀吉が死亡していますので、この呼び方はいかがなものかと言われることもあります。

具体的にいつ始まっていつ終わったのかということがハッキリしないものでもあります。

しかし、戦国時代と安土桃山時代には確かな違いがあり、あくまでも別の時代と言えるのです。

まとめ

いかがでしょうか。

戦国時代と安土桃山時代というのは似たような時代に感じるかもしれませんが、特に安土桃山時代は織田信長と豊臣秀吉が政権を握っていた時代だと考えれば、2つの時代の違いが分かるのではないでしょうか。

また、戦国時代は室町時代の1つだと考えると、2つの違いがよりわかりやすくなりますね。

スポンサーリンク
azuchimomoyamaレクタングル大

azuchimomoyamaレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする