安土桃山時代はどんな時代だったのか?その特徴3選

織田信長と豊臣秀吉が政権を握った安土桃山時代は、2人の名前から織豊時代と呼ばれることもあります。

主に1573年から1603年までを指し、織田信長が安土城を居城とし、豊臣秀吉は桃山丘陵に伏見城を建設したという事から安土桃山時代と呼ばれます。

この時代は一体どんな時代だったのでしょうか。

ここでは、安土桃山時代はどんな時代だったのかという事について、その特徴を解説します。

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鉄砲が伝来した

安土桃山時代と聞くと、鉄砲が日本にやってきた時代だと思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

16世紀にヨーロッパから東アジアに火縄銃が伝わりましたが、日本には1543年、種子島にポルトガル人によって店舗がもたらされました。

ただし、年代については1542年だという考え方もありますから、諸説あるといえます。

鉄砲を使い始めた戦いは長篠の戦いであり、織田信長はこの鉄砲をフル活用して武田信玄の息子、武田勝頼に対して勝利を収めました。

当時の鉄砲は弾を放つと次の弾の準備をするまで30秒ほどかかるというものでしたが、織田信長はしっかりと戦略を立て、この短所を克服したのです。

安土桃山時代がどんな時代だったかというと、やはり特徴の1つとしてこの鉄砲伝来が挙げられるでしょう。

豊臣秀吉による天下統一

さらに、豊臣秀吉と言えば天下統一という特徴を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

本能寺の変に対して、羽柴秀吉は山崎の戦いにおいて明智光秀を破りました。それによって主導権を手にし、賤ヶ岳の戦いなどを経て織田信長の後継者として地を固めるのです。

1586年には関白、太政大臣になり、豊臣という姓を名乗るようになりました。

1590年には日本を統一し、全国で刀狩りと太閤検地を開始したという事はあまりにも有名ですよね。

さらに天下統一によって平和をもたらしたということから、大名たちは自分たちの国で様々な経営を行い、経済的にも豊かな時代となりました。

南蛮貿易による朝鮮文化の導入などもあり、文化的にも栄えた時代と言えるでしょう。

桃山文化

安土桃山時代がどんな時代かというと、やはりその特徴としては先ほど述べた文化、つまり桃山文化というものが挙げられます。

平和がもたらされたことにより経済力も向上し、仏教色の少ない現代的な文化がもたらされました。

茶の湯が流行し、お茶道具が重宝され、それの反抗としてわび茶も発達したと考えられています。

そして1549年、フランシスコザビエルが日本にキリスト教をもたらしましたが、それ以降の南蛮貿易によって南蛮文化の影響を受けるということもこの時代の大きな特徴といえます。

中国などのアジア諸国を仲介せず、初めて西洋文化と直接触れ合ったという点で、この南蛮貿易は日本に大きな影響もたらしたと言えるでしょう。

まとめ

いかがでしょうか。

安土桃山時代は決して織田信長と豊臣秀吉だけが力をつけた時代ではありません。

各地で大名たちが才能を発揮し、都市を反映させ、様々な文化が花開いた時代でもありました。

絵画や工芸、能なども盛んになったのです。

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