安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉が天下をまとめた時代としても知られています。
特に1590年に豊臣秀吉が天下統一を行った事は歴史上でも有名ですよね。
天下統一をしたという事は、様々な領地をまとめていたということになります。
それならば、安土桃山時代は領地はどのように広がっていったのでしょうか。
ここでは、織田信長と豊臣秀吉の時代、安土桃山時代の領地の広がりについて紹介します。
織田信長の時代の領地の広がり
安土桃山時代の直前の時代、戦国時代においては各地で大名たちが争いを繰り広げていました。
そんな中、1560年頃から今の愛知県である尾張の国より織田信長が力をつけ始めます。
1560年代にはまだまだ今の愛知県周辺のみを支配していた織田信長ですが、1570年までには今の東海3県のあたりまで勢力を広げるようになります。
さらに、今の北陸地方や近畿地方などにまでも勢力を広げ、1582年、本能寺の変以前には今の東北地方や中国地方、四国地方、九州地方以外はほとんど織田信長が政権を握っていた状態だったのです。
しかし、本能寺の変で明智光秀によって織田信長が自害することとなり、信長は天下統一を果たすことができませんでした。
豊臣秀吉による領地の広がり
本能寺の変で織田信長を攻撃した明智光秀は謀反を起こし、当時羽柴秀吉と呼ばれた豊臣秀吉と柴田勝家とに分割します。
1583年、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉が柴田勝家を倒し、日本の約7割を手中に収めることになったのです。
その後、1591年に豊臣秀吉が北奥羽一揆、九州の乱を鎮圧し、天下統一を行いました。日本全国、今の北海道と沖縄以外が豊臣秀吉の手中に収まったのです。
このように、安土桃山時代の領地は広がっていきました。
江戸時代に入ってからの領地
豊臣秀吉によって天下統一がなされた後、1600年になると関ヶ原の戦いが起こります。
石田三成が大阪で挙兵し、日本の東部に向かっていくようになり、徳川家康は会津から反転し、西部に向かっていくようになったのです。
豊臣秀吉によって統一された天下は徳川家康と石田三成によって2分され、1515年、徳川家康は豊臣家を滅ぼし、今度は徳川家康の家で全国が再統一されたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
織田信長が領地を広げていなかったら、もしかしたら豊臣秀吉もここまで短期間で天下を統一することはなかなかできなかったかもしれません。
しかし、10年ほどでそこまで領地を広げてしまった織田信長はやはり有力な大名であったと言えるでしょう。