安土桃山時代はどのように流れていった時代なのでしょうか。
安土桃山時代というと、織田信長や豊臣秀吉を思い浮かべる人も多いかもしれませんね。
確かに、安土桃山時代というのはこの2人が天下を統一した時代になります。
それならば、安土桃山時代の流れとは一体どのようなものだったのでしょうか。
ここでは安土桃山時代の流れについて解説します。
織田信長による天下統一の試み
安土桃山時代が何年に始まるかというのは今でも様々な見解があります。
同様にいつ終わったかということも様々な見解があります。
まず、織田信長が室町幕府の最後の将軍である足利義昭を追放し、織田信長が権力を握った1573年に室町幕府が崩壊したことから、安土桃山時代が始まりました。
織田信長は天下統一を目指し、平和を取り戻した京都を中心に様々な文化が広がっていたのです。
日本の中心部を制圧していたため、天下統一はすぐ目の前だと思われていました。
しかし、明智光秀が謀反を起こしたことにより1582年、本能寺の変で自害することとなり、織田信長は天下統一を果たすことができなかったのです。
豊臣秀吉による天下統一
織田信長は天下を統一することができませんでしたが、これに対して羽柴秀吉が力をつけるようになります。
羽柴秀吉は関白・太政大臣となり、豊臣秀吉となりました。
1590年にとうとう天下を統一し、太閤検地と刀狩りを行ったのです。
また、中国を制圧しようと文禄慶長の役を起こしましたが、経由するはずの場所であった朝鮮で戦況が変わってしまい、中国制圧の目論見は失敗に終わってしまいました。
さらに天下統一されたことによって世の中に平和がもたらされ、諸大名は自分の国を経営することに集中できましたから、比較的経済的にも豊かであり、都市でも様々な文化が栄えたと言われています。
江戸時代の始まり
天下統一を中心に様々な偉業を成し遂げた豊臣秀吉は1598年に死去しました。
そこで今度は徳川家康が力をつけるようになります。
政治の場で主導権を握り、外交においても活躍しました。
それによって徳川家康が政権を担うようになり、これに対して反発をした石田三成たちと戦いを起こします。
これが1600年の関ヶ原の戦いです。
徳川軍が勝利したことにより、1603年には徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が出来上がりました。
これによって公式に江戸時代が始まり、安土桃山時代は終わりを告げたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
安土桃山時代というのは決して長い時代ではありませんでした。
また、織田信長と豊臣秀吉のみが活躍したといっても過言ではないかもしれません。
しかし、この時代があったからこそ江戸時代があったと言っても良いのです。安土桃山時代にはこのような流れが存在します。