安土桃山時代にはどのような通貨が使われていたのでしょうか。
いつの時代にもお金というものが登場しますよね。
特に安土桃山時代は豊臣秀吉によって天下が統一され、世の中が平和になった時代でもありました。
だからこそ業種たちは自分たちの国の経営に力を入れ、経済が発展したといわれているのです。
それならば、安土桃山時代の通貨は一体どのようなものだったのでしょうか。
ここでは安土桃山時代における通貨貨幣について解説します。
天正大判
豊臣秀吉は全国を統一し、これまでの貨幣を統一しました。
また、重さ165グラムもある世界最大の通貨、天正大判というものを作らせたのです。
さすが派手好きで知られる豊臣秀吉の好みと言えるでしょう。
しかし、この検証番はこの時代には高額すぎたため、大名や公家たちが使うのみでした。
豊臣秀吉は天下を統一した後、全国的に金銀の発掘を進めたのです。
それによって産出量は急上昇しました。
それがこの天正大判の鋳造を可能にしたと言われています。
庶民が使っていた鐚銭(びたせん)
大名たちは天正大判を使うことができましたが、一般庶民たちはそこまで高額な貨幣を使うことができませんでした。
それに代わって庶民たちに利用された通貨というものは室町時代から使われている鐚銭というものです。
室町幕府は通貨を作ることがありませんでしたから、勘合貿易によって中国から大量の通貨を輸入したのです。
特に永楽通宝というものは重さも一定であり、信用も得ることができていました。
しかしこの頃から雑な作りの鐚銭というものが出回り、一般庶民はこれらを使うようになっていたのです。
南蛮貿易が盛んになったことによって金銀が算出されるようになり、金判や銀判が作られるようになりました。
金銀貨幣の統一は江戸時代に入ってから
1600年に関ヶ原の戦いが起こり、徳川家康は金銀貨幣を全国的に統一するようになりました。
金座と銀座を設置することによって両、分、朱の名称で通貨を作っていたのです。
秤量貨幣として知られるようになりました。
また、3大将軍の徳川家光の時代に銅貨である寛永通宝というものが出来上がりました。
ここで初めて金、銀、銅の3つの花柄が揃ったことになります。
しかし武士たちの生活が華やかになり、また江戸時代に行われた参勤交代などによってお金がかかったため、財政が厳しくなっていきました。
それによって紙幣というものが出来上がっていくのです。
まとめ
いかがでしょうか。
安土桃山時代の特徴としては、天正大判というものができたことが挙げられます。
江戸時代に入ってから比較的整えられた形で貨幣というものが出来上がっていくのです。