安土桃山時代の朝廷は一体何をしていたのでしょうか。
室町時代あたりから、歴史では朝廷よりも幕府というものが表に出てきますよね。
安土桃山時代も、幕府こそありませんでしたが室町幕府を崩壊させた織田信長と豊臣秀吉が活躍した時代でした。
それならば、安土桃山時代は朝廷は一体何をしていたのでしょうか。
ここでは安土桃山時代の朝廷について解説します。
政治の実権は幕府に
鎌倉幕府が成立したことにより、政治の実権というものは幕府に映るようになりました。
しかし、天皇が中心となっている朝廷というものも存在し続けたのです。
安土桃山時代も織田信長や豊臣秀吉が力を持っていた時代でしたが、朝廷というものは確かに存在していました。
ですから、織田信長や豊臣秀吉が天下統一に向けて動いていた時にも天皇は存在していたのです。
豊臣秀吉は天皇を招いて接待したとも言われていますし、朝鮮出兵などの時にも天皇が関わったと言われています。
正親町天皇
1557年、正親町天皇が即位しました。
安土桃山時代は実は朝廷の財政具合がよくなく、権威は地に落ちていたのです。
そんな中、織田信長はこの正親町天皇を守るという大義名分により、京都を支配することになりました。
調停にしてみれば織田信長に守ってもらえるわけですから、京都の支配を許したということになります。
豊臣秀吉に政権が移った後も、豊臣秀吉はこの天皇を政権の後ろ盾として天下統一を実現させました。
また、豊臣秀吉と言えば朝鮮出兵などが有名ですが、豊臣秀吉が朝廷の大義名分を守ったため、朝鮮出兵には失敗したものの朝廷の権威は高まったと言えるのです。
後陽成天皇
正親町天皇が色死去した後、後陽成天皇が即位しました。
後陽成天皇は豊臣秀吉の天下統一から江戸幕府にかけて天皇であったため、安土桃山時代から江戸時代にかけて天皇であった人物といえます。
また、だからこそ後陽成天皇の前半と後半では扱われようが変わってきています。
まず、豊臣秀吉は自分の権威を高めるために天皇を尊重しました。
しかし、天下統一を実現させた後は天皇を利用する形になったと考えられています。
また、後陽成天皇の後継者をめぐって江戸幕府と対立しました。
まとめ
いかがでしょうか。
安土桃山時代の調停は力をなくしていましたが、織田信長によって朝廷の権威が高まったと言えるでしょう。
また、いくら財政的に困難な状態であったとしても、朝廷は天皇というのは幕府の後ろ盾になりました。
そのため、権威が失墜していたとしても織田信長や豊臣秀吉を守ることが可能だったのです。