安土桃山時代の日本は、スペインとはどのような関係を維持していたのでしょうか。
もともと日本はポルトガルとは深い関係を持っていましたが、実はスペインとの関係も16世紀ごろから始まります。
それならば、安土桃山時代の日本はスペインとどのように関わっていたのでしょうか。
ここでは、安土桃山時代における日本とスペインの日西関係について紹介します。
16世紀以降の日本とスペイン
16世紀半ば、ポルトガルがインドのゴアやマラッカ、中国のマカオに拠点を築き、同時にイエズス会がアジアにおいてキリスト教を布教し始めたその時期、イエズス会の布教に参加していたスペイン人が日本人と接触するようになりました。
日本人もポルトガル人との交易のために東アジアや東南アジアを行き来していたため、その途中でスペイン人と出会ったのです。
これがきっかけとなり、スペイン人が日本にやってくるようになりました。
それによってスペインが南蛮貿易にも組み込まれるようになっていったのです。
イエズス会の関係者
イエズス会のメンバーとして日本にやってきたのは、スペインのバレンシア出身であるコスメ・デ・トーレス神父とコルドバ出身のファン・フェルナンデス修道士でした。
彼らがイエズス会のメンバーとして日本に到来したという事は、スペイン人が日本に来航したということになります。
トーレス神父は1570年に天草で、フェルナンデスは1567年に平戸で命を落としました。
つまり、彼らが日本にやってきてから日本に滞在し、そのまま日本で没したということになります。
また、ザビエルが1551年に日本を離れた時には、薩摩出身のベルナルドというクリスチャンネームを持つ青年がローマに向かい、スペインにも立ち寄りました。
安土桃山以降の日本とスペイン
安土桃山時代が終わり、江戸時代になってから、スペインと日本の関係は本格化するようになりました。
1613年には仙台藩が支倉常長らが含まれる慶長遣欧使節団をスペインに派遣し、支倉常長地震はマドリードでフェリペ3世に謁見しましたし、同じくバチカンでローマ教皇パウルス5世にも謁見しました。
このように、日本とスペインは関係を維持してきたわけですが、その後江戸幕府がキリスト教を本格的に禁止したため、1624年にはスペイン戦の来航が禁止されました。後は日本が開国した後、1868年に日西修好通商航海条約が結ばれ、日本とスペインの国交が結ばれたのです。
まとめ
いかがでしょうか。
日本とスペインがここを結んだのは日本が鎖国を終えて開国をした後の事ですが、16世紀ごろから日本とスペインはすでに関係を持ち始めていたのです。
キリスト教の禁止によって1時断裂されてしまいますが、それでもスペインは日本に大きな影響を与えた国の1つであると言えるでしょう。