安土桃山時代というのは、織田信長と豊臣秀吉が政権を握った時代として知られていますよね。
織田信長は今でいうと北陸地方や東海地方、近畿地方などを統一しましたが、天下統一には至りませんでした。
そのあとで政権を握った豊臣秀吉が天下を統一します。
しかし、この時に北海道は一体どのような位置づけだったのでしょうか。
ここでは、安土桃山時代における北海道について解説します。
豊臣秀吉の天下統一に北海道は含まれない
本能寺の変で織田信長を攻撃した後、明智光秀の軍は羽柴秀吉と柴田勝家に分かれていきます。
後に羽柴秀吉が柴田勝家を倒し、天下統一をして豊臣秀吉となるわけですが、この天下統一には今の北海道、そして沖縄は含まれていないのです。
当時、蝦夷地と呼ばれていた北海道にはまだまだ本州の手が伸びておらず、確かに蝦夷には戦国時代から台頭する大名がいましたが、本州から大名が出ていて蝦夷地で勢力を伸ばすという事はまだできなかったのです。
そのため、豊臣秀吉の天下統一には北海道自体は含まれていません。
蠣崎氏の台頭
その一方で、戦国時代から蝦夷で力を伸ばしていた蠣崎氏、或いは松前氏と呼ばれる人物は、豊臣秀吉に服従していた人物でした。
豊臣秀吉が天下を収めた時、豊臣秀吉は蠣崎氏を倒したわけでは無い為、蝦夷地が豊臣秀吉の天下に入っていたというわけではありません。
しかし、秀吉に服従した人物であったということから、蝦夷地も豊臣秀吉の天下統一に含めて良いのではないかという見方もあります。
蠣崎氏は1591年に豊臣秀吉に服従し、1593年には秀吉から全蝦夷の支配権を与えられたのです。
蠣崎氏とアイヌ民族
その一方で、この秀吉から北海道の支配権を与えられた蠣崎氏、蠣崎慶広の父、蠣崎李広は瀬田内のアイヌ民族の首長、ハシタインと知内のアイヌ民族の首長、チコモタインと和睦を結びました。
これにより、日本人が支配できる地域というものは現在の北海道、南西部と定められていたのです。
そのため、蠣崎氏が北海道全土を支配していたとは言えないため、たとえ彼が豊臣秀吉に服従していたとしても、豊臣秀吉が北海道全土を支配していたとは到底言えないのです。
しかし、北海道が日本の領土ではなかったということを考えるならば、豊臣秀吉が北海道を支配していなかったとしても、天下統一には問題はないと言えるのです。
まとめ
いかがでしょうか。
豊臣秀吉の天下統一には北海道は含まれていませんでした。
しかし、北海道はまだ当時はアイヌ民族の土地だと考えられており、日本のものになったのはまだそれから後のことです。
ですから、豊臣秀吉の天下統一に含まれていなくても問題は無いのです。