安土桃山時代の忍者は何をしていたのか

安土桃山時代の忍者は一体何をしていた人々でしょうか。

忍者と聞くと伝説の生き物だと思う人もいるかもしれません。

しかし、忍者というのは現代でいうスパイのようなもので確かに存在していました。

一瞬で消える、などといったギガは持ち合わせていませんが、忍者は室町時代あたりから存在していたと考えられています。

それならば、安土桃山時代の忍者は一体何をしていたのでしょうか。

ここでは安土桃山時代の忍者について解説します。

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忍者の歴史

忍者というと日本のものというイメージを持つ人もいるかもしれませんが、その発祥に関しては諸説あります。

インドから出たという意見もあれば、中国から出たという意見もあるのです。

飛鳥時代には聖徳太子が「志能備(しのび)」を用いたと伝えられている地域もあります。

忍術などは源平時代以降、日本で生まれたものです。

ただし日本国内においても地域によって違い、文献上には71の忍術が見られますが、種類を分けると31だと考える見方もあります。

文献上は、1487年の室町幕府将軍足利義尚が率いている加賀・伊賀連合軍の戦いが忍者が用いられた最初の戦いになります。

安土桃山時代の忍者

忍者と言えば伊賀上野を思い浮かべる人も多いかもしれませんね。

伊賀流の忍者は昔から存在していたと考えられています。

琵琶湖があったために農業ができず、特殊技能を身に付けて忍者集団となっていたと考えられているのです。

しかし、これは羽柴秀吉によって解散させられてしまいました。

その一方で加賀の忍者は豊臣秀吉により、徳川家の監視を行っていたと言われています。

もともと伊賀忍者と加賀忍者は対立していましたので、安土桃山時代は彼が忍者の方が重宝されたというべきでしょうか。

様々なフィクションにおいても、伊賀と加賀の忍者が対立している様を扱った作品は多いですね。

織田信長との関係

忍者は織田信長とも親しい関係にあったと言われています。

もともと忍者達は佐々木六角と同盟関係にありましたが、徐々に織田信長に近づくようになりました。

信長が伊賀の忍者を攻撃するときには、全面的に協力したという背景もあります。

伊賀忍者の下山甲斐が織田信長の次男に伊賀忍者に関する情報を漏らしたことにより戦いが始まったと言われています。

次の戦いにおいても伊賀忍者は内部で裏切りが起こってしまったために敵を迎え撃つことができず、お城への侵略を許してしまう結果になったとされているのです。

まとめ

いかがでしょうか。

忍者達の中においても、安土桃山時代には加賀忍者が織田信長や豊臣秀吉に重宝されていました。

彼らは今の時代というスパイとして人々の動向を観察し、自分たちの将軍のために働いていたのです。

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