織田信長と豊臣秀吉が政権を握った時代を安土桃山時代と呼びます。
その始まりや終わりには諸説ありますが、一般的には1573年から1603年までを安土桃山時代とすることが多いです。
織田信長の居城であった安土城、豊臣秀吉の伏見城があった桃山丘陵から安土桃山時代と名付けられているため、その名前に対しては批判的な見解もありますが、特にこの時代の文化の事は織田信長ではなく、豊臣秀吉のお城の地名を取り、桃山文化と呼びます。
そんな安土桃山時代に大きな影響与えたヨーロッパ文化には一体どのようなものがあるのでしょうか。
ここでは、安土桃山時代に影響を与えたヨーロッパ文化について紹介します。
鉄砲
安土桃山時代と言えば、やはり鉄砲伝来を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
1543年、ポルトガル人が種子島に鉄砲をもたらしました。
もともとヨーロッパにおいては、マルコポーロが東方見聞録において黄金の国、ジパングと日本のことを紹介したことにより、ヨーロッパの国々は日本に対して魅力を感じていました。
だからこそ、大航海時代によってポルトガルやスペインは黄金の国、ジパングを目指していたのです。
なお、日本史においては鉄砲伝来は1543年と言われていますが、実は決定的な資料は存在せず、本当は1543年ではない可能性も指摘されています。
しかし、鉄砲というのはこの時代の日本に大きな変化をもたらしたヨーロッパ文化と言えるでしょう。
キリスト教
1549年、イエズス会の宣教師フランシスコザビエルが薩摩の国、鹿児島にキリスト教をもたらしました。
キリスト教は豊臣秀吉の時代に禁止され、クリスチャンたちは徐々に弾圧されるようになります。
しかし、特に明治維新の後、アメリカやイギリスなどの影響によってプロテスタントのキリスト教が日本に伝来し、これらは文化的に大きな影響を与えたと考えられています。
富国強兵、文明開花という国家目標が掲げられた後は、欧米式のあり方の1つとしてキリスト教が多く受け入れられるようになりました。
安土桃山時代に日本に入り込んできたヨーロッパ文化の1つとしてのキリスト教は、今現在に至るまで大きな影響を与えているのです。
また、教会音楽としてのグレゴリオ聖歌なども一般的になります。
ポルトガル語
南蛮貿易としてポルトガル人たちと交易を行っていたため、日本にはポルトガル語というヨーロッパ文化も入ってくるようになりました。
南北文化そのものは、江戸幕府が情報統制を行ってしまったために長続きしませんでしたが、例えばタバコやカルタは日本でも親しまれましたし、それ以外にもパン屋カステラ、金平糖、カッパ等のポルトガル語は日常的に用いられています。
今現在の日本語にも、ポルトガルからやってきた単語がたくさんあります。
まとめ
いかがでしょうか。
安土桃山大には、日本が中国を中継とせず、ヨーロッパと直接交易することができたという意味でも大きな影響がありました。
こんな時代だからこそ、ヨーロッパ文化が沢山日本に入ってきたのです。