安土桃山時代の人々の暮らしと食事、服装について

織田信長と豊臣秀吉が政権を握った時代を安土桃山時代と呼びます。

しかし、安土桃山時代で聞けば織田信長と豊臣秀吉を思い浮かべる人も多い一方で、一般の人たちはどのような暮らしをしていたのか、どのような食事をし、どのような服装をしていたのかわからないという人も多いですよね。

一般の人たちはどのような暮らしをしていたのでしょうか。

ここでは、一般庶民の暮らしや食事、服装について紹介します。

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一般の人たちの暮らし

この時代は確かにキリスト教がフランシスコ・ザビエルによってもたらされた時代ではありますが、神や仏を信じるというよりも、どちらかというと今生きている人間の方が大切だという考え方が一般的でした。

特に豊臣秀吉の時代には天下が統一され、人々は平和な時代を迎えたのです。

大名たちも争います込まれることがなく、各地で経済の活性化に励みました。だからこそ、この時代は平和であり、経済が発達したのです。

特に人々の暮らしにおいては文化が持ち込まれ、能楽や茶道、生花、浄瑠璃、歌舞伎など様々な芸能が楽しまれるようになりました。

一般の人たちの食事

安土桃山時代の一般の人たちの食事といっても、実は一般の人たちの定義が少々困難です。

というのは、農民であっても戦の時には足軽として戦いに行きましたから、農民でありながらも半分は武士であるようなものがあったのです。

また、官位を大名たちは自分で作り出すということもありましたし、言い換えれば誰でも武士になれるような時代でありました。

とりあえずフルタイムの武士では大人たちを一般の人がする場合、そのような人々の食事は米ではなく、稗や粟の雑炊主食だったと考えられています。

主君の交代などによって政情が大幅に変わる時代でしたから、規則正しい生活というものはあまり重視されなかったのです。

一般の人々の服装

安土桃山時代と言えば、やはり織田信長や豊臣秀吉などの服装が一般的に知られていますよね。

安土桃山時代には、もともと貴族の下着として扱われていた小袖が表着として使われるようになります。

この時代には南蛮貿易によって中国やヨーロッパから生糸や衣織物、金襴などが日本に入り込み、武士の衣装も華やかになりました。

だからこそ、一般の人たちの服装も変化していくのです。

安土桃山時代から、人々は綿で作った木綿を衣服に取り入れるようになったとされています。

まとめ

いかがでしょうか。

安土桃山時代と言えば、日本史の中ではやはり武士の文化が一般的に知られていますよね。

しかし、どの時代であったとしてもその時代を支えたのは一般の人々でもあります。

一般の人々たちの暮らしぶりを見てみると、さらなる時代の変化がわかるかもしれません。

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