安土桃山時代と言えば、織田信長や豊臣秀吉を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
天下が統一され、平和になったと言うイメージを持っている人もいる事でしょう。
その一方で、今の日本人にはなくてはならないものの1つであるお風呂とは一体どのようなものであったのでしょうか。
お風呂は6世紀に日本にやってきましたが、安土桃山時代は一体どのようなものだったのでしょう。
ここでは、安土桃山時代のお風呂について解説します。
はじまりは仏教の沐浴
もともとお風呂と言うものは今のように体を洗うもの、体の汚れを落とすもの、と言うものではありませんでした。
6世紀に日本にやってきたお風呂は、まだまだ仏に仕える者の大切な仕事としての沐浴であり、多くの寺院にのみ浴室があったのです。
また、入浴と言うのは七病を除き七福を得ると言う教えもあったため、寺院に参拝する信者たちを入浴させたとも言われています。
安土桃山時代のお風呂とは
お風呂といってもお湯の中に体を浸すものではなく、蒸し風呂のようなもので蒸気で蒸すことで垢を落とし、掛け湯をすると言うスタイルが一般的でした。
今で言うとサウナのような感じですね。
今のお風呂はお湯につかって疲れを取ると言うイメージもありますが、安土桃山時代のお風呂はあくまでもサウナのような携帯だったのです。
また、実際に風呂敷をお風呂に敷いていました。
ただし、安土桃山時代のお風呂といっても、お風呂と言うものは身分の高い人のみが入れるようなものであり、娯楽だったと考えられています。
一般庶民はただ水を体にかけ、行水を行っていただけです。
この蒸気が外に出ないようにするために、人々は桜口と言う小さな扉から出入りしていたと言われています。
宗教とは関係ないお風呂が広まる
6世紀、仏教徒ないと同時に中国からやってきたお風呂の文化は、まだまだ宗教的な意味合いの強いものでした。
しかし、室町時代でもまだまだ宗教的なスタイルが続いていたお風呂は、安土桃山時代から江戸時代にかけて、入浴を楽しむためのものとして発達します。
伊勢与一と言う人物が純粋に入浴を楽しむと言う意味合いで湯屋を建設し、それがお風呂の文化を広めるきっかけとなりました。
安土桃山時代ではまだまだそこまで一般的ではなかったお風呂ですが、江戸時代にかけて急速に広まっていくようになります。
この時代のお風呂は混浴だったとも言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
安土桃山時代は、お風呂と言う文化が今の日本人のお風呂の文化に近いスタイルに変化した時代でもありました。
宗教的な意味合いがなくなり、純粋にお風呂に入ると言うスタイルが出来上がり、江戸時代に入ってからお湯につかると言うスタイルも広まっていくのです。