安土桃山時代といえば、織田信長と豊臣秀吉を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
この時代はこの2人が政権を握り、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたことでも知られていますね。
ちなみに、この2人を思い浮かべる時は徳川家康を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、徳川家康は江戸時代の人間になりますので、安土桃山時代には関係がありません。
この安土桃山時代は南蛮文化によって西洋からの文化が花開いた時代でもありました。
その中には焼き物文化がありますが、どのような焼き物文化があったのでしょうか。
ここでは、安土桃山時代の焼き物について解説します。
茶の湯
16世紀までは灰釉や鉄釉が一般的でしたが、安土桃山時代に入ってから、ここに緑釉、黄釉などが入り込みました。
これが侘茶などと結びつき、今でも焼き物で有名な岐阜県美濃地方では黄瀬戸や瀬戸黒などが有名になり、安土桃山時代の焼き物文化を発展させていくに至ったのです。
この焼き物文化は今でも日本の文化として有名ですね。
焼き物戦争
茶道そのものは室町時代から一般的になりますが、安土桃山時代には茶陶を指導する大名が現れるなど、茶器が一般的になりました。
戦争などの恩賞として茶器を渡すということもあり、焼き物というものが一般に普及し始めるのです。
そんな中、豊臣秀吉が中国の明を支配しようとして行った文禄・慶長の役は焼き物戦争として知られています。
多くの諸侯が出陣し、朝鮮から陶工を連れて帰りました。
彼らは特に西日本で窯を維持し、陶磁器生産に貢献したのです。
加藤卓男の研究の成果
美濃焼人間国宝の加藤卓男氏の研究によると、安土桃山時代の焼き物を代表する織部焼はアラビアからベトナムに伝わり、そこから美濃にやってきたとされています。
特に織部の抹茶椀が伝わりました。
織部は大名茶人である古田織部の指導によって広まったと考えられています。
つまり、日本の文化として愛される織部は確かにこの時代の大名によって広められたのです。
今でも織部焼は焼き物の中でも前進とされ、そのスタイルはオリベイズムとしても愛されています。
まとめ
いかがでしょうか。
日本は焼き物でも有名ですが、その基盤はこの安土桃山時代に築かれたものでもあるのです。
特に織部焼は市松模様や幾何学模様を施し、今までの茶器とは異なる点が愛された理由です。
今では大量生産がなされていますが、同じ模様は一つとして存在しないということでも知られていますね。
個性を重視する焼き物文化は、これからも栄えていくことでしょう。