安土桃山時代と言えば、織田信長や豊臣秀吉が政権を握った時代として知られていますよね。
そんな安土桃山時代は南蛮貿易が栄えた時代でもあり、様々な物品がヨーロッパや中国から入り込んできました。
安土桃山時代の武将たちは食事にも気を使ったと言われており、この時代は日本食が大きく変化した時代でもあります。
それならば、この時代の料理は一体どのようなものだったのでしょうか。
ここでは安土桃山時代の料理について解説します。
目次
本膳料理
この時代の料理には本膳料理というものが入り込んできました。
本膳料理というのは食事をとる、という行為に意味がある料理を指します。
安土桃山時代の一つ前にあたる室町時代に入り込んできましたが、それが安土桃山時代ではだいぶ形をなしたといえます。
特に織田信長が本膳料理を振る舞っていたという事は有名な話です。
1582年、徳川家康が安土城にやってきたとき、織田信長は5の膳まである本膳料理を振る舞いました。
しかし、このときの本膳料理はまさにご馳走であったため、接待を賄った明智光秀は贅沢すぎるという事から織田信長に人前で殴られます。
これが本能寺の変につながったのです。
煮物と汁が現れる
安土桃山時代の料理の特徴としては、煮物と汁が現れたことも挙げられます。
平安時代以来、料理というものは生ものや戻した乾物に塩や酢をかけて食べるという形態が一般的でした。
また、昔から使われていた土鍋は割れやすいという特徴があり、細かい土が料理に滲み出てしまい、汁物を作ることができなかったのです。
しかし、この時代に鉄が普及し、鉄製の鍋が使われるようになりました。
これによって魚や野菜を後にした味噌汁などが作れるようになったのです。
さらに、煮物を熱いまま食べられるようになったということも大きな変化でした。
安土桃山時代の料理は、今の日本料理の基盤を作り出したとも言えるのです。
醤油の役割
さらにこの時代、醤油が日本に入り込んできました。
平安時代以降はすり鉢が普及し、食材を細くして食べられるようになり、手の込んだ料理も作られるようになったのです。
加工食品も普及しました。
醤油自体は室町時代に西日本で作られるようになりましたが、これが徐々に安土桃山時代に普及し、全国的に使われるようになったのです。
また、南蛮貿易で砂糖が輸入されるようになり、甘味料としても利用されるようになりました。
まとめ
いかがでしょうか。
今の日本料理の基盤は室町時代から安土桃山時代にかけて出来上がったと考えられます。
もちろん、武将の食事と一般の人々の食事は違いますが、特にこの時代の武将たちは健康に気遣い、食事に配慮したと言われているのです。