安土桃山時代と言えば、織田信長や豊臣秀吉が政権を握った時代として有名です。
室町時代の後半になると幕府の力が弱くなり、武士たちは朝廷と直接交渉するようになりました。
本来ならば朝廷が武士たちに官位を授けていたのですが、朝廷が経済的に困難な状態となり、武士たちの献金に対する恩賞として官位を作り出し、授けるようになりました。
そのため、武士たちも自分たちで官位を作り出すようになってしまったのです。
それならば、朝廷にはどのような天皇がいたのでしょうか。
ここでは、安土桃山時代の天皇について紹介します。
正親町天皇
あまり歴史の授業で習う人物ではありませんが、安土桃山時代の天皇の一人に正親町天皇という人物がいます。
1557年から1586年まで在位におり、その先代は後奈良天皇、次代は後陽成天皇でした。
先ほど述べた通り、朝廷は経済的に困難な状態にあり、天皇や公家は貧窮していました。
正親町天皇も毛利元就が献上金を渡したことによって即位の礼が挙げられたと言われています。
正親町天皇の業績の一つに、キリスト教宣教師の京都追放を行ったということがあります。
後陽成天皇
正親町天皇の次に天皇になったのは後陽成天皇でした。
ちょうど豊臣秀吉が天下統一を行う時から江戸幕府成立の時期に即位していた人物です。
豊臣秀吉は、最初は関白・太閤の位を利用して天皇を尊重しました。
秀吉が勧めたことにより、第一皇子の良仁親王を後継者としていましたが、秀吉が亡くなった後、皇弟の八条宮に譲位することを臨みました。
後陽成天皇は1586年から1611年にかけて即していました。
安土桃山時代の天皇は2人だけ
後陽成天皇が江戸時代の始まりである1603年を超えても天皇として即位していたことにより、安土桃山時代の天皇は2人だけであったと言えます。
豊臣秀吉が命を落としたあとは譲位を臨みましたが徳川家康から認められず、3年後、家康の了解を得た上で良仁親王を仁和寺で出家させ、第3皇子の政仁親王を建てました。
政仁親王は後水尾天皇として1611年から1629年まで即位します。
出家させられた良仁親王と後陽成天皇の意に即したものではなかったため、両社とも後水尾天皇には冷たかったと言われています。
まとめ
いかがでしょうか。
日本の歴史では有名な天皇がたくさんおり、歴史の授業でも覚えなければならない名前がありますよね。
安土桃山時代の天皇の名前は決して歴史の授業で出てくるものではありません。
しかし、織田信長や豊臣秀吉、そして徳川家康には十分関係があった人物たちだと言えるのです。