安土桃山時代の鉄砲を使った戦い方とはどのようなものだったのか

安土桃山時代と言えば、織田信長と豊臣秀吉が政権を握っていた時代として知られていますよね。

織田信長が政権を確立し、さらに豊臣秀吉が天下統一を行い、日本史の中では重要な時代の1つです。

主に1573年から1603年が安土桃山時代と言われますが、この時代は鉄砲が伝来した時代でもありました。

鉄砲は安土桃山時代の戦い方にどのような影響与えたのでしょうか。

ここでは、安土桃山時代における鉄砲を使った戦い方について解説します。

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鉄砲伝来

1543年、種子島にポルトガル人によって鉄砲が伝わりました。

この種子島に鉄砲が伝わったという事は日本史の中でも重要な出来事であり、テストでもよく出てくる問題ですよね。

鉄砲が伝わるまでの戦い方は、あくまでも弓矢などの飛び道具に頼ったものでしたが、当時の日本では弓矢などが使われており、西洋の戦い方に勝てるようなものではありませんでした。

しかし鉄砲が日本に伝来したことにより、織田信長は長篠の戦いで鉄砲フル活用し、勝利を収めます。

当時の鉄砲というのはいちど弾を放つと次の準備をするまでに30秒ほどかかってしまう状態でした。

そのため、相手をしっかりと撃つことができれば良いのですが、そうでなければその次の準備をしている間に相手にやられてしまうような状態だったため、大名には人気がなかったと言われています。

織田信長の戦略

そんな鉄砲ですが、織田信長はその鉄砲の使った戦い方をよく知っていました。

というのは、まず鉄砲隊を3人1組にし、縦一列に3人を並べます。

まず一人目が撃ち、撃った人は列の後ろに並んで二発目の準備をします。

その間に二人目が撃ち、今度はその人が後れに並びます。

三人目が撃ち、後ろに並びます。

この頃には一人目の準備が完了しているため、要領よく撃つことができます。

このやり方により、鉄砲を何発も撃つことができるようになり、織田信長は長篠の戦いで勝利を収めることができたのです。

音の効果

長篠の戦いにおいて、織田信長は武田信玄の息子、武田勝頼に勝利しました。

武田勝頼は「鉄砲なんて大した事は無い」と考えていたと言われていますが、鉄砲がもたらした効果の1つに音というものがあります。

弓矢にはないこの轟音が相手を威嚇するのに役立ったとも考えられているのです。

まとめ

いかがでしょうか。

安土桃山時代に鉄砲が日本にやってきたことにより、今後戦い方は大きく変わっていくことになります。

江戸時代の武士文化では刀が使われますが、これにも鉄砲は大きな影響を与えていくことになるのです。

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