安土桃山時代の豊臣秀吉は何をした人物なのか

豊臣秀吉という人物を知っているでしょうか。

刀狩りを行い、天下統一を果たし、キリスト教を禁止した人物等というイメージを持っている人もいるかもしれませんね。

豊臣秀吉は織田信長に続く3英傑の1人であると言われ、安土桃山時代の重要人物の1人です。

それならば、具体的に豊臣秀吉は何をした人のでしょうか。

ここでは豊臣秀吉が何をしたかという事について解説します。

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豊臣秀吉の肩書

今でこそ豊臣秀吉という人物は有名ですが、彼はもともと羽柴秀吉という一介の大名でした。

しかし、織田信長に使え、織田信長が浅井長政に裏切られた時は明智光秀とともに織田信長を守り、しかし明智光秀が織田信長を本能寺の変で破った後は明智光秀を山崎の戦いで破り、織田家内部の争いを沈め、織田信長の後継者となったのです。

名字を豊臣秀吉に改め、太政大臣として君臨することになりました。

その後天下統一を果たし、太閤検地や刀狩りを行ったのです。

太閤検地と刀狩りについて

豊臣秀吉と言えば、太閤検地や刀狩りでも知られていますよね。

米の生産力を表すために全国的に検地を行いました。

検地そのものは豊臣秀吉が最初に行ったわけでは無いですが、豊臣秀吉の太閤検地によって全国的に土地が測定されたのです。

また、刀狩りを行って農民たちが反乱できないようにしました。

それまではいざ戦が起これば農民たちが武装し、戦いに行っていたため、言い方を変えれば農民たちは領主と交渉することも可能だったのです。

しかし、刀狩りが行われてしまったことにより武装が解除され、農民と武士の身分の差というものが明確になりました。

バテレン追放令

豊臣秀吉の業績の1つにキリスト教を禁止したということがあります。

もともとは織田信長がキリスト教を関与していたため、豊臣秀吉もキリスト教を受け入れるつもりでした。

しかし、イエズス会が長崎をイエズス会領としていたため、それに焦りを感じてキリスト教を弾圧したのです。

織田信長の時代には少年使節団がローマに派遣され、キリスト教の布教の仕方などを勉強していました。

しかし彼らが帰国したときにはキリスト教が禁止されており、彼らは学んだことを日本で生かすことができなかったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

豊臣秀吉は歴史の授業などでも学ぶ重要な人物の1人ですから、刀狩りなどという言葉も聞いたことがあるという人も多いことでしょう。

ちなみに、徳川家康は同じく3英傑の1人ですが、家康は江戸時代の人物に含まれます。

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