安土桃山時代の芸術作品について

安土桃山時代は、南蛮貿易によって多くの芸術が栄えました。

南蛮貿易は日本が中国を介すことなくヨーロッパと直接やり取りができるようになったという意味がある貿易であり、そこから多くの芸術が日本に入り込んできたのです。

豊臣秀吉が天下統一を行った後に栄えた文化を桃山文化と呼びますが、特にこの頃は豪商の経済力もあり、華やかな文化が広がりました。

この時代は宗教色が少なく、特に現世的な作風が多いとも言われています。

それならば、安土桃山時代にはどのような芸術が栄えたのでしょうか。

ここでは安土桃山時代の芸術について解説します。

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絵画

狩野派の絵師が力を伸ばし、特に織田信長や豊臣秀吉等の権力者に好かれるようになりました。

城郭や寺院の床や壁に絵を描く障壁画、風俗画や水墨画が盛んとなり、同時に日本にやってきたスペイン人やポルトガル人らの南蛮人らを描いた南蛮屏風も人気となりました。

濃絵は主に加納永徳や加納山楽が担当し、水墨画は長谷川等伯らが有名でした。

風俗画も加納永徳が有名になりました。

陶器

岐阜県美濃地方の織部という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

実はこの織部は、安土桃山時代に栄えた文化です。

織部以外にも楽焼や朝鮮の影響を受けている陶磁器が有名になりました。

豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った時に大名たちが朝鮮の陶工らを日本に連れて帰り、そこから栄えた文化だと考えられています。

主なものは伊万里焼、薩摩焼などがあります。

また、茶道具なども一般化し、主君から家臣への報償として茶道具が送られることもありました。

活版印刷

活版印刷には2種類あります。

まず、朝鮮人の技術者たちが行った、木版による活字印刷、そしてイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノによる西洋の活版印刷です。

これによって聖書などが印刷され、イエズス会の布教にも大きな役割を果たしました。

また、日本語とポルトガル語の辞書などが作られ、人々の生活にも大きな影響を与えたのです。

まとめ

いかがでしょうか。

これ以外にも茶道や能が有名になりました。

茶道は茶の湯が栄え、それに対抗するように侘茶も栄えましたし、能は公家や武家に人気でした。

能はお国という人物によって大成されます。

その一方で浄瑠璃や歌舞伎は一般庶民に親しまれました。

豊臣秀吉の天下統一ということもあり、世の中が比較的平和になったため、人々は余裕を持って楽しみを見つけることができました。

そのためにこのような芸術が栄えたと考えられています。

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